奈良の食魅ー奈良新聞掲載ー

ー自然と歴史を食卓へー

 物を食べるという日常的な行為を文化の出発点とすると、その変遷流動は時代のニーズに対応し、順応しながら変化していき、国々(その地域々)の固有の食文化を作っていく生活史そのものであることが解る。

 さて奈良は味覚に加え、それに伴う歴史の味わいも重ねて味わって頂ける地です。味覚がその人の履歴であるように、奈良の風景一つひとつが自らの履歴で味わえる味を持っていて、心の満足も同時に得られる地と考えている。
これから毎月1回綴る『奈良の食魅-自然と歴史を食卓へ-』で、ご理解して頂けると幸いです。   
          👉毎月第一水曜日奈良新聞掲載中

【麦秋】

 奈良盆地の初夏、新緑の中に黄金色の麦穂が揺れる麦秋の風景は美しく、麦にとってまさに実りの秋である。その小麦の刈り入れを終え、田植えが一段落すると、小麦ともち米を搗き、きな粉をまぶした「半夏生餅(はんげしょうもち)」を食べる習わしがある。江戸時代の俳人其諺(きげん)は『滑稽雑談(こっけいぞうだん)』に「秋は百穀成熟の期、これ時において夏といへども、麦においてはすなはち秋、ゆゑに麦秋というなり」と麦秋の季語を解説している。

 ところで奈良時代、救荒作物として麦の栽培が奨励されていたように、古代から日本人の生活の中で重要な役割を担ってきた。鎌倉時代に入り西日本で二毛作が始まると、稲の裏作作物となり、室町時代には東日本でも二毛作が可能になると、小麦の税率が軽かった為か、栽培量が急速に増加していった。当時の寺院が果たした製粉技術の役割は大きい。
江戸時代には水車製粉が盛んになり、小麦の生産と消費は拡大していく。
 奈良でも盆地という地形をいかした水車製粉が盛んに行われ、桜井地区には巻向川、長谷川、寺川の急流を生かした水車小屋、粉ひき場があったと、桜井市にある旭製粉株式会社で伺った。
現在、県内ではグルテンが弱くうどんに適した「きぬいろは」や、グルテンがやや強めの素麺加工に適した奨励品種「ふくはるか」の栽培が始まっている。
穀物の中で唯一、粉砕し水を加えて捏ねるとグルテンができ、含まれる蛋白質の量と、加える水の量で様々な状態に変化する小麦は何とも不思議な穀物である。

 さて昭和30年代に入ると消費革命時代の幕が開き、高度経済成長の波に乗って食糧の安定期を迎えていくと、次第に米に代わる次の食の主役として麦が登場することになる。
農水省が平成 6年12月に制定した「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」の第1条で、「この法律は、主要な食糧である米穀及び麦が主食として…」とある。今やスーパーマーケット内を見渡しても小麦粉や麦を含む加工食品だらけである。

ただ需要の多くを輸入に依存している今、国産小麦を使用した加工品は「国産小麦使用」や特定の「品種名」等などが表示され、消費者の関心は高く、これからも国産小麦の流通量は増えると予想される。このように人々の食生活に深く根付いているはずの主食なのに、一方で小麦はアレルギーを起こしやすい食品の中でも症例数が多い。食品衛生法施行規則で「特定原材料」に指定され、平成14年4月からその表示が義務化されている。

『なら食』研究会代表・横井啓子